大天使の局地的人災 5








「ん?」



 マナーモードに設定してあるフラガの携帯端末がポケットの中で振動した。

 それはアークエンジェルに乗り込む三日ほど前に買ったもので、アドレスを知っているのは三人だけである。

 そのうちの一人は今目の前にいるので違う。

 彼の上官は滅多なことでは連絡して来ない。

――となれば必然的に相手が分かる。



「あ、キラからだ」


「本当ですかっ?」



 目にも止まらぬ早さというのはこういうことを言うのだろう。

 ミリアリアはフラガから端末を奪った。

ミリアリアのパソコンに繋がらないので伝えて下さい。
迎えに行くって

 たったそれだけの短い文章だった。

 けれどもミリアリアは顔を綻ばせる。

 それはフラガを怯えさせたものとは違う、心からの笑みだ。

 やはり、とフラガは思う。

 彼女もまた、あの少女に救われたのだろう。

 自分はそれほどではないが、ミリアリアと同じような反応を見せる人物をよく知っている。




(それこそあいつは人間そのものを憎んでいた)




 彼の幼い頃を知るフラガは、少女と出会ってからの彼が別人のように思えた。



「…──っよし!」



 物悲しい思い出に浸っていたフラガを明るいその声が呼び戻した。

 どうやらキラからの連絡を受け取れない原因となった作業を終えたらしい。

 ミリアリアは不満だろうが、そろそろ報復劇も終わりだろう。

 キラが迎えに来る、と言ったからには向こうの準備がすべて整っているはずだ。

 だからまもなく休息の時間。

 少なくともフラガはこの時、それを信じて疑わなかった。

 効果を見るために医務室へ行こうということになった。

 珍しい組み合わせだと声をかけられ、そこでたまたま会ったのだと言い訳をしつつ、次第に大きくなるざわめきの発生源へ向かう。



「おい、何の騒ぎだ?」



 人だかりで中が見えず、後方からフラガが確認する。

 見物人たちからは口々に状況説明の声が飛んで来た。



「コードウェルとイクスとフロイスがシャワーを浴びてたんですけど」


「シャワーから出る湯の温度が突然上がったらしいです」


「それで三人とも火傷を……」



 火傷した部分を上にして医務室のベッドに横たわる姿は、憐れとしか言い様がなかった。



「それで…火傷の方は大丈夫なんですか?」



 ちっとも心配していないにもかかわらず、ミリアリアは心配しているふりをして尋ねる。

 恐らく大丈夫ではない、という返答を彼女は望んでいるのだろう。

 フラガには、ほくそ笑む少女が見える気がした。



「痛みが治まるまで二週間てとこだろう。五日ほどは服も着れないほど痛む」



 彼らに下痢止めを処方した民間人の医者はそう見立てる。

 結構ひどいらしいその結果に、ミリアリアは大いに満足した。



「そう、ですか……」



 笑いたくなるのを堪えて絞り出した声は、周りにはミリアリアが心を痛めているのだと思わせる。

 なんて優しい少女だろう、と。



「それにしても君たちは呪われてでもいるのかい?今回といい、先程といい……」



 シャワー温度調節機の故障、原因不明の下痢症状。

 被害に遭っているのはこの三人だけだ。



「っていうか真っ先にこいつらが被害に遭っただけでアークエンジェル自体がやばいんじゃないか?」



 何の根拠もなくそうのたまうフラガに、その場にいる人間は注目する。

 それを聞いてミリアリアは余計なことを、と密かに彼を小突いた。

 ところがフラガは何でもないことのように言葉をつむぐ。



「だってさぁ…キラは捕まっちまうし、メビウス・ゼロは壊れたし、食中毒にシャワーの故障。次は未知のウィルスでも蔓延するんじゃないかと──」


「不吉なことを言わないで下さい」


「バジルール少尉?」



 かけられた厳しい声に人々は居住まいを正すが、この男だけは動じなかった。

 ムウ・ラ・フラガである。



「冗談だって…それより少尉は何でここに?」


「休憩中だったのですがこの騒ぎを聞いて…何をしている!さっさと持ち場に戻れ!!」



 周りで半ばほうけている軍人たちに、それこそ軍人らしく厳しい口調でたしなめる。

 この場から早く逃れたい、とばかりに蜘蛛の子を散らすがごとく去って行く人々が憐れである。

 そしてそういう風にしか生きられない彼女もまた、可哀想なのかもしれない。

 しかしバジルール少尉と言えばキラに辛く当たっていた人間の一人。

 彼女の喝が効かなかったミリアリアとフラガも少尉には声をかけずに立ち去った。

 それを彼女が苦にするかどうかは別にして、これもささやかな復讐だったのかもしれない。











2004/12/06